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HIROSHI FUJIWARA

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Hiroshi Fujiwara フラグメント デザイン

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Hiroshi Fujiwara (フラグメント デザイン)

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2)クリエイティブのルーツとプロセス」藤原ヒロシ

藤原ヒロシ氏 インタビュー
/ 中編

僕が創るのは、きっかけだけ。

形になった瞬間、藤原ヒロシの興味はすでに次の場所にある。プロジェクトが完成しても、結果には執着しない。それは彼にとって「終わり」ではなく、ただの通過点だからだ。

幼少期、学校のルールに違和感を抱き、パンクに出会い、ロンドンやニューヨークでカルチャーの本質に触れた経験が、彼の「好き」に向き合う姿勢を育んできた。ヒップホップやファッション、アート、そして音楽 ―― どの領域でも貫かれるのは、余白を残すこと。

「僕がやるのは、最初の火をつけること。あとは自然に広がっていけばいい。」

結果に固執せず、飽きる前に次へ進む。その軽やかさこそが、なぜ藤原ヒロシを常にカルチャーの最前線に立たせ続けるのか。彼が語る、クリエイティブと人生に必要な「余白」の哲学。

「きっかけを創るだけ」
藤原ヒロシが貫く“余白”のある仕事術

――ヒロシさんのこれまでのキャリアを振り返っていると、最初の「成功体験」やそれを支えた経験というのはどんなものでしたか?

成功体験…という感覚はあまりないですね。そもそも、何かの結果が出た時には、僕自身はもうそこに飽きていて、次のことを考えていることが多いです。だから「成功した」という実感を持つことはあまりありません。

僕のスタイルは「きっかけを創るだけなんです。その後は、その分野でより得意な人が引き継いでくれればいいなと思っています。

――では、どんな幼少期を過ごして、そういった感性が育まれたのですか?

どうでしょうね。ただ、学校はあまり好きじゃなかったですね(笑)。特に小学生の頃から嫌いでした。なんというか、ルールや強制される感じが苦手だったんだと思います。

――小学校の頃からですか?

小学校に入った頃から、例えば給食が嫌いで、登校拒否みたいなことをしたりもしました。給食の時間に「みんなが食べ終わるまで帰れない」みたいなルールがあって、それがとにかく嫌だったんです。学校生活全般にそういう「強制される感じ」が多かった気がします。

――そんな中で、中学時代に雑誌や音楽に出会って影響を受けたと伺いました。それはどのようなきっかけだったのでしょうか?

雑誌は普通に好きで、小学校高学年くらいからよく読んでいました。特に、音楽系や洋楽に関する雑誌ですね。たぶん、同級生や友達の影響もあったと思います。

――その時代に洋楽を聴くことは普通だったのでしょうか?

50年前くらいの話なので、学校でも給食の時間にカーペンターズやビートルズが流れていましたし、放送研究会が選曲して日本語の曲より洋楽をかけることが多かったですね。

時代的にそういう流れだったんだと思います。ただ、それがどれだけ深く進むかは、人それぞれの好き嫌いによると思います。僕自身は、とにかく好き嫌いがはっきりしていたので、自分が「これがいい」と思ったものには夢中になれました。

――好き嫌いがはっきりしていることが、ヒロシさんの感性の原点とも言えそうですね。

そうかもしれませんね。好きなものに対してだけ全力で向き合う、というのは今でも変わらないスタンスだと思います。

「気になったら、掘るだけ」──パンクが教えてくれた情報収集の原点

――ヒロシさんは昔から「深く行く」という性格だったのでしょうか?例えば、音楽雑誌でパンクを掘っていったことなど、そんな印象を受けました。

昔から何か気になると深く掘り下げる性格だったかもしれません。中学時代にパンクを知って、その世界をどんどん追いかけていきました。パンクのムーブメント自体は短期間だったし、一部では禁止されていたりもしたんですけど、雑誌ではセックス・ピストルズや他の情報が毎月載っていたので、それを読んで情報を集めていました。

――その後、中学時代には東京に行くようになったと伺いました。それも雑誌を通じて情報を得て、興味を持ったからですか?

そうですね。姉の友達が名古屋に住んでいて、その友達のつながりで東京のお店に行くようになりました。ただ、そのお店自体は特に珍しいものではなく、普通にあったものです。

雑誌や本を通じて、パンクやロンドンのカルチャーについてどんどん知識を深めていきました。わかればわかるほど「本物を見たい」という気持ちが強くなっていきましたね。

――先ほど、小学校が好きではなかったという話もされていましたが、その「ルールが嫌い」という感覚が、パンクに惹かれた理由に関係しているのでしょうか?

そういう風に見えるかもしれませんが、特に「学校嫌い=パンク」というわけではないですね。僕が学校嫌いだったのは、単純に給食が嫌いだったり、みんなと同じことをやらされるのが嫌だったりしたからです(笑)。

――中学時代には「LONDON NITE」(1980年にスタートしたロック系クラブイベント)
にも行かれるようになったと伺いました。そこで上下関係がない文化に影響を受けたそうですね。

そうですね。中学時代から、年上の友達や大人たちと交流する機会が多かったので、その時点で上下関係のないフラットな感覚が少しずつ身についていたと思います。「LONDON NITE」に行って、それがより明確に感じられたのは確かです。

――「LONDON NITE」のファッションコンテストで優勝し、ロンドン行きのチケットを手にされたそうですが、初めてロンドンへ向かう時の気持ちはどんなものでしたか?

パンクに影響を受けていたのもありますが、ただ単純に「行ってみたい」という気持ちが強かったですね。英語も好きだったので、なんとなく「自分は話せるだろう」と思っていたんですが、実際に行ってみたら全然通じなくて(笑)。現地では言葉の壁にかなり苦労しました。

――英語の習得の原点はどこにあるのでしょうか?小学校の頃から好きだったんですか?

そうですね、小学校の頃からビートルズの歌詞で学んで学校の英語の成績も良かったです。ただ、「できる」と思ってロンドンに行ってみたものの、実際にはほとんどわからなくて、現地で苦労しながら少しずつ覚えました。ロンドンに行ったり帰国したりを繰り返しているうちに、だんだん慣れてきた感じです。

――ロンドンでの滞在期間はどのくらいでしたか?

初めて行った時は2ヶ月ほど滞在しました。特に計画を立てず、オープンチケットで1ヶ月ぐらいの予定で行ったんですが、楽しくてそのまま延長しました。

――ロンドンでの体験はヒロシさんの感性や活動に大きな影響を与えたように思います。言葉が通じなくても、ファッションや音楽で非言語的なコミュニケーションを取る場面も多かったのでは?

言葉が通じなくても、「これを知ってるんだな」と思われるような非言語のやりとりは確かにありました。それはファッションや音楽、カルチャーを共有しているからこそ成立する部分だったと思います。

「ヒップホップは、カルチャーの断片だった」──ニューヨークでの衝撃と音楽の原点

――その流れでニューヨークにも行かれていますが、ヒップホップの初期に触れた経験について教えていただけますか?

ニューヨークでは、ロンドンで知り合った人たちのつながりで色々な場所に連れて行ってもらいました。まだ世界的にもヒップホップというジャンル自体が確立されていなかった時代で、音楽、ダンス、グラフィティなどの要素がごちゃ混ぜになっているような新しいムーブメントでした。

――その頃のヒップホップのファッションについてはどう感じましたか?

当時のヒップホップには、まだファッションが中心にあるわけではありませんでした。音楽やダンス、グラフィティが主軸で、ファッションはそこまで意識されていなかったと思います。パンクの方が洋服とカルチャーがしっかり結びついていた印象ですね。

――その後、「TINY PANX」などの活動を通じて音楽を具体的に形にしていくわけですが、

どのようにインスピレーションを得ていたのでしょうか?

実際にヒップホップの活動を始めたきっかけは、高木完ちゃんに誘われたことです。それを機にラップを始め、ヒップホップ文化にさらに深く関わるようになりました。

もともとDJのようなことは独学でやっていたのですが、ロンドンやニューヨークで実際の現場に触れたことで、「こういう感覚なんだ」と腑に落ちる経験が多かったですね。本物を目の当たりにしたことで、自分の中での理解が一気に深まりました。

ヒップホップに出会ったことで、「自分でもこういうことができるんだ」と思うようになったのが大きな転機だったと思います。

――ヒップホップに対して、パンクとはまた違った印象や感覚があったのでしょうか?

そうですね。僕自身、ヒップホップには最初の段階ではあまり深く触れなかったタイプです。でも、実際に関わるようになると、その技術的な面や新しい表現方法がとても面白いと感じました。

ただ、ヒップホップが政治的なメッセージを強く持つようになり、ブラックカルチャーとしての側面が強調されるようになってくると、日本人である僕には、その本質を完全に理解するのは難しいなと感じることもありました。それは、文化や背景が違う以上、どうしても超えられない部分があるんじゃないかなと感じました。

――では、ヒロシさんにとってヒップホップの魅力はどのような部分だったのでしょうか?

僕にとっては、ヒップホップの技術面含め新しい音楽の可能性に魅力を感じました。特に初期のヒップホップは、サンプリングやDJの技術が斬新で、音楽として純粋に面白いと感じました。それが最初のきっかけだったと思います。

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Interview By Teppei Ikeda / Yuichiro Nomoto (Director

Photography By Kenta Karima

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