Crew Fashion Designer Tamae Hirokawa
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Tamae Hirokawa
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ファションデザイナーをしています。
INTERVIEW
何故、トップクリエーターになれたのか?
Photography By Yuichiro Nomoto
Text By Ryo Ishii
Direction By PROJECT ONE
Tie-Up Brand yuhaku
ファッションデザイナー 廣川玉枝氏
プロの仕事術 と 日々の愛用品
(前編
「良いクリエイションを引き出すのは、
当たり前を疑う力」
「SOMARTA」デザイナー 廣川玉枝氏
日本を代表するクリエイターをゲストに招き、独自の仕事術を伺う本連載。第四回は「SOMA DESIGN」の代表であり、ファッションブランド「SOMARTA(ソマルタ)」のデザイナーである廣川玉枝氏。無縫製ニットの技術を用いて「第二の皮膚」を体現した「Skin」シリーズは、レディ・ガガが着用したりニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されるなど世界的に話題を呼んでいる。華々しい経歴を持つ彼女だが、経営的な視点ではファッション業界のスピードの早い旧態的なサイクルに疑問を持ち、自分なりのサイクルを構築することに注力したそう。その深意を探る。
Work
Zoff x Tamae Hirokawa, 2019
? Zoff
Skin series Nina, 2017
Photo: Sinya Keita (ROLLUP Studio.)
? SOMA DESIGN
Tamae Hirokawa x Yamaha Motor Design 02GEN “Taurs”, 2014
Photograph: Mitsuaki Koshizuka (MOREVISION)
? SOMA DESIGN
SOMARTA 2020AW “SCALE” Collection, 2020
Photo: Sinya Keita (ROLLUP Studio.)
? SOMA DESIGN
interview
ファッションに魅了され、熱中した文化服装学院時代。
「入学した当時はDCブランド絶頂期。私はその存在をほとんど知らずにファッションの世界に飛び込んだんです」??。絵を描くのが好きな、真面目で普通の高校生だったという廣川さん。そんな彼女がファッションデザイナーを志したのは、自分が描いた服で女性がより美しくなれることが、まるでアートのように素敵だと考えたからだ。
「ファッションは好きでしたが、ブランドには詳しくなくて。デザイナーにも職人的なイメージを抱いていた私は、入学式でいきなりカルチャーショックを受けました。みんな見たこともない個性的な服に身を包んでいて、そんな服どこに売っているのとびっくりしたのを覚えています。」
当然、入学直後は想像と現実のギャップに何度も驚かされることになった。
「特に印象に残っているのが先生のこの言葉です。『良い服を見たり着たりして、美味しい物を食べて、常に美しいものを見て、とにかく良い物を知らなければ、良い服はデザインできないんですよ!』“美しさ”にすごく厳しい先生で、この金言は今でも胸に刻まれています。」
素直だった廣川さんはその言葉通り課題に人一倍真面目に取り組んだのはもちろん、美術館へ足を運んだり、学生コンテストなどにも積極的に参加。徐々にファッションデザイナーの夢を具現化していった。
廣川さんは「ファッションデザイナーになるためには、まずはどこかメゾンに入らなければならない」と考えた。この“○○のためには○○をしなければならない”という固定概念は、廣川さんの素直で真面目な性格を端的に表すものであり、そのために苦い経験をしてしまうことになるのだが、それはもう少し後の話。
就職してから数年後に現在に繋がる運命的な出会いがあった。たまたまポジションが空くからという理由でニットのデザインを担当することになる。
「自分の意図しないところからニットのデザインに関わるようになったんですが、デザインをする仕事の中で、カッティングを追求して立体的に服を作るよりも、テキスタイルがそのまま服になる服作りをしてみたいと思うようになったんです。ニットは一本の糸からその後の製品の性格を決めることができる。それが楽しくて」。
その後ニットのデザインに夢中になり原料や技術を追求する中で、無縫製ニットと出会うこととなったのだという。
「一本の編み糸だけでボディから袖までを一体成形できる無縫製ニットなら、“第二の皮膚”が作れるんじゃないかと思ったんです。」
ファッションの理想を体現した“第二の皮膚”。
当時はまだ珍しい存在だった無縫製ニット。だからこそ、廣川さんは可能性を感じたという。
「第二の皮膚というのはファッション界にある普遍的なテーマで、私がそれを知ったのは学生時代です。『身体の夢』展という展覧会の中で、三宅一生さんやジャン=ポール・ゴルチエさん、ヴィヴィアン・ウエストウッドさんなどプロのデザイナーたちが『第二の皮膚』をテーマに服を作るという展示がありました。そこで“一流のファッションデザイナーは、皮膚のような服を目指すものなんだ”と知り、私もいつか自分なりに表現してみたいと思うようになりました。」
無縫製ニットとの出会いは、まさに点と点が繋がるような出来事だった。
「30歳になるころには自分が思い描く服を自由に作れるようになり、仕事は楽しかったのですが、いざ将来を考えたときに、このままで良いのかだろうかと悩みました。更に成長するためには、このタイミングで独立しなければと思ったんです。職場の先輩や学生時代の友人たちも何人か独立をしていたし、そういうものだと思っていたから、特に不安はありませんでした。」
不安がなかったのは、“良いものを作れば売れるはずだ”という根拠のない思い込みがあったから。差し当たって準備したのは、デザインとコンセプトを向こう3年間6シーズン分考えたこと。それに対して経営に関することは何も戦略を立てていなかったという。
「当時の全てをかけて完成させた『ソマルタ』のファーストシーズンは、ショーの評価は高かったものの合同展示会に参加しても販売にはなかなか繋がりませんでした。有り難いことにPRの評判だけは良くて、たくさん取材をしてもらい雑誌にも載せてもらいました。でも今思えば当たり前で、どれだけ多くの人に見てもらっても、実際に服を買ってくれるのはバイヤーさんですから、その人たちの目に止まらなければ売れません。その中には最初のSkinシリーズもありました。」
“売るためには、とにかく良いものを作らなければならない。”その事だけに集中してしまったために、デビューと同時に大きな困難にぶつかってしまいました。このままでは3年先はおろか、半年先すら継続が怪しかった。
「ショーと展示会が終わって一週間経っても音沙汰がなく途方に暮れていたのですが、見に来てくれていたバイヤーさんの一人が海外出張に行っており、最終的にその方が新規オープンするショップのエクスクルーシブとして、コレクションのほとんどをオーダーしてくださったんです。」
影響力のあるお店だったため2シーズン目からは他店からもオーダーが入るようになり、ブランドは少しずつ回り出す。だが「本当に考えが甘かったと反省した恐怖の一週間でした」と廣川さんが語る通り、相当なプレッシャーであったことは想像に難くない。
そんな苦い経験を経て、ようやくビジネスを意識するようになったという廣川さん。良い服を作るだけではダメで、もっと広い視野を持たないといけない。奇しくも学生時代の先生の言葉を身をもって実感することとなった。今では信頼できるスタッフを雇い、会社の代表兼デザイナーとして活躍する。その中でファッションデザイナーとしての在り方や、仕事の仕方も大きく変わっていったという。
「学生時代は勘違いしていましたが、服は私一人で作っているのではありません。工場や流通、小売店やそのスタッフさんたちがいて、『ソマルタ』の個性的な服を喜んでくれる人たちがいる。服をつくる事が出来るのは、服づくりを支える多くの人がいるお陰なのだと気付いてからは、自分たちが出来ることの中で何が一番世の中に必要とされているのかを考えるようになりました。小さな循環でもいいから人々が喜んでくださり、そのサイクルが上手く回るような状況をしっかりと作っていくことが大切。もちろん数字(お金)も大切ですが、最低限、循環が滞っていないかということを軸に自分のビジネスを見るようになりましたね。」
Profile
SOMA DESIGN
クリエイティブディレクター/デザイナー
廣川 玉枝 / Tamae Hirokawa
2006年「SOMA DESIGN」を設立。同時にブランド「SOMARTA」を立ち上げ東京コレクションに参加。第25回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞。単独個展「廣川玉枝展 身体の系譜」の他Canon[NEOREAL]展/ TOYOTA [iQ×SOMARTA MICROCOSMOS]展/ YAMAHA MOTOR DESIGN [02Gen-Taurs]など企業コラボレーション作品を多数手がける。
2017年SOMARTAのシグニチャーアイテム”Skin Series”がMoMAに収蔵され話題を呼ぶ。2018年WIRED Audi INNOVATION AWARDを受賞。
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