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Makoto Tanijiri

Makoto Tanijiri Architect / Entrepreneur

谷尻誠

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谷尻誠 (Architect / Entrepreneur)

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建築家 / 起業家



INTERVIEW

何故、トップクリエーターになれたのか?

Photography By Yuichiro Nomoto
Text By Aya Iwamura
Direction By PROJECT ONE
Tie-Up with yuhaku
Place:neji(https://www.instagram.com/neji.kyomachibori/


建築家 / 起業家 谷尻誠氏
プロの仕事術 と 日々の愛用品 

(前編

「常に“何のためにつくるのか”という
原点に遡って考える」

SUPPOSE DESIGN OFFICE 共同主宰 
建築家 谷尻誠 氏


日本を代表するクリエイターをゲストに招き、独自の仕事術を伺う本連載。第八回は「SUPPOSE DESIGN OFFICE」の共同代表であり、建築家の谷尻誠氏。個人邸宅をはじめ、有名ブランドのフラッグショップ、地方都市の町並みを生かした商業施設など、手がけた建築作品のそれぞれが話題となっていく谷尻氏。中でも東京・渋谷の公園通りに面したhotel ko? tokyoは、そのコンセプトの斬新さがオープンとともに大きな話題を呼んだ。「コンセプトを考え抜くことこそが自身の持ち味」と語る谷尻氏に、現在に至るまでの道のりとその真意を伺った。

Index

1. Work
2. Interview
・26歳で図らずもフリーに それがすべての始まり
・打ちのめされたことで気づいた「コンセプト」の大切さ
・東京進出とともに訪れた2つのチャンス
・感動を生み出すためには、すべてをハンドリングしない
・コロナ禍で生まれた働き方の自由を、より好きな仕事へとつなげたい
3. Column 日々を彩るプロフェッショナルの愛用品
4. Goods 谷尻誠氏が選ぶyuhakuのアイテム
5. Profile

Work

関東マツダ 高田馬場店 / Photo By 矢野紀行

New Acton Nishi / Photo By Tom Roe

hotel koe tokyo / Photo By 長谷川健太

ONOMICHI U2 / Photo By 矢野紀行

LINEオフィス / Photo By 矢野紀行

[映画] 未来のミライ / 監督:細田守 配給:東宝

豊前の家 / Photo By 矢野紀行

interview

「常に“何のためにつくるのか”という原点に遡って考える」

26歳で図らずもフリーに それがすべての始まり

「20代の頃は、本格的に建築をやろうと強く思っていなかったんです」と、谷尻さんから飛び出す意外な言葉。広島市内の専門学校を卒業後、地元の建築事務所に勤めるも、不景気のあおりを受けて退職。思いがけず26歳でフリーとなった。
「当時ハマっていた自転車レースを優先できるようフリーになり、住宅会社の下請けで図面を描いたり、焼き鳥屋でバイトしながら生活をしていました。当時はまだ若かったので、そのうちまたどこかに就職しようかみたいな気持ちもあって。ただ、“かっこいい現代建築物をつくりたい”という想いだけは漠然と持っていたように思います。」
 
そんな想いは、元請けに対して提案してしまうという形で現れる。
 
「“提案体質”なんでしょうね。図面を見ているともっとこうした方がいいんじゃないかと思えてきて、それを黙っていられなくて。そんなことが何度かあるうちに、下請けの仕事も失ってしまいました。」
 
しかしこれが、その後の快進撃の第一歩。フリーターをしながらクラブに通ったり、そのクラブのイベント告知フライヤーをつくってみたりと、「フラフラしていた」という谷尻さんに、あるときアパレルショップの店舗設計の話が舞い込んできたのだ。
 
「これはチャンスだと思って、つくったことがないものも『得意です』と言い、いろいろと提案したら、つくらせてもらえることになったんです。」 完成後、その独自性やデザイン性が話題となり、それから少しずつ依頼が入るようになっていった。
 
当時、設計料をいただかない仕事もあったという谷尻さん。ただ、「実績をつくりたい」という想いで意欲的に提案して制作の機会を得ていた。一年で10軒ほどの案件を引き受けたという。
 
そんな中、住宅の設計を手がけるチャンスも訪れた。当時から「作品は見てもらえてこそ評価される」と考えていた谷尻さんは、完成後にオープンハウスを計画するが、そこがまた谷尻流。知り合いの家具屋さんとコラボして、完成した住宅で期間限定のショップを企画した。オープンハウスには2日間で約300人が訪れたという。

打ちのめされたことで気づいた「コンセプト」の大切さ。


「建築を極めていきたいという気持ちは、その頃はまだ強く持っていませんでした。でもその住宅がいい感じにできたので、プロに写真を撮ってもらって、東京の出版社に持って行ったんです。」
 
作品が建築誌に掲載されることを一つの目標としていた谷尻さん。しかしそこで編集者に設計コンセプトなどを聞かれ、自分がきちんと答えられないことに打ちのめされたという。
「コンセプトの大切さにやっと気づいたんです。それが自分の中でのターニングポイントの一つだと言えます。また、その頃に出会った哲学者・野矢茂樹さんの本、『はじめて考えるときのように〜「わかる」ための哲学的道案内〜』にも大きく影響を受けました。このプロジェクトは何のためにやるのか、なぜそうするのかと、原点に遡って考えることが大切だと気づきました。案件について根本から考えること、設計やデザイン一つひとつの要素に根拠を持つということは、今でも大切にしています。」
さらにもう一つのターニングポイントと言えるのが、2軒目に手がけた住宅『毘沙門の家』 だ。広島市郊外の高台斜面に建つ店舗兼住宅は、完成後のオープンハウスから注目を集め、グッドデザイン賞を受賞。

Photo By 矢野紀行


その作品の写真が、建築・インテリア専門撮影会社のカメラマンの目にとまり、谷尻さんがメールをもらったことで新たなチャンスが訪れる。
「メールをくださったカメラマンさんに会いに東京まで出向いたんです。そこでたまたま、事務所の社長を交えて食事にいく機会に恵まれました。そのカメラマンさんがとてもいい方で、僕たちの受賞作品の写真を持ち歩いてくれていて、食事の場で社長に写真を見せてくれたんですね。すると社長が気に入ってくれて。当時無名だった僕たちの作品を広島まで撮り行くように、カメラマンさんに言ってくれたんです。さっそく翌週に広島まで来てくれました。」
その出会いをきっかけに、作品が初めて建築誌に掲載されたという。
 
「一度出版社で打ちのめされた後でしたから、雑誌に載ったときは本当にうれしかったですね。ただ、それは一般の人向けの雑誌で、建築専門誌ではありませんでした。コンセプトにまだ強度がなかったからだと思うのですが、その頃はもどかしく思っていました。」
 
はじめてのスタッフを雇ったのもこの頃だ。給料はともかく谷尻さんの元で勉強したいと熱心に事務所に通ってくれる若い男の子をスタッフとして迎えた。
「僕自身もまだまだ未熟だと思っていましたから、スタッフというよりは一緒にものづくりをするパートナーという感覚でした。そのスタンスは今でも変わっていません。現在、スタッフは40人ほどいるのですが、みんな一緒に冒険をする仲間だと思っています。」



東京進出とともに訪れた2つのチャンス


『毘沙門の家』の雑誌掲載をきっかけに、完成する作品が次々とメデイアに紹介され、仕事にいい循環が生まれ始めてきた谷尻さんに、2008年、東京で展覧会を開く機会が訪れる。東京進出の好機だと感じた谷尻さんは、広島の事務所をそのまま移動したような展示を思いついた。あたかも東京事務所を開設したかのように、家具やテーブル を設置し、模型や図面、個人情報を伏せた見積書までを来た人が手に取れるように展示したのだ。
 
「いつか東京に出たいとは思っていました。でも、事務所を開設してもなかなか人に来てもらえないですよね。だから展覧会を利用しようと。本当に東京事務所をつくったんだと勘違いした人がたくさんいて、お祝いがたくさん届きました(笑)。」
会期が終わると同時に、東京事務所を開設。広島と東京、2拠点での活動がスタートした。

同年に、もう一つのチャンスに恵まれた。世界中のアートプロダクトが集まるエキジビション『DESIGNTIDE TOKYO 2008』の会場デザインを依頼されたのだ。谷尻さんらがつくり出した会場は、半透明の不織布を縫い合わせ、ヘリウム風船で天井から吊るすことによって空間をゆるやかに仕切った街並み。広い会場に数日間浮かび上がったかのような幻想的な会場は業界で話題に。東京での谷尻さんの存在感を揺るぎないものにした。

「この会場デザインをするときにも、何のためにやるのかと、原点に遡って考えました。たった数日間のエキジビションのためだけに、たくさん材料を使って会場をつくり、終わったら大量の廃棄物が出る。そのことに疑問を感じたのです。それなら不織布と風船を使ってみようと。会期後は、材料の全てが洋服のようにたたまれて段ボール数箱の中に収められる。これまでと全く違う考え方で会場設計ができました。」

Photo By 矢野紀行


その会場デザインをきっかけに、2010年、ミラノサローネでの東芝のインスタレーションを手がけることになった谷尻さん。 LED光源を繊細に表現した作品が注目を集め、海外の建築雑誌の表紙を飾ることとなる。その後も手がける作品は話題を呼び、谷尻さんの建築家としてのキャリアは、名実ともに不動のものとなっていった。



後編は6/21公開予定
東京進出とともに訪れた2つのチャンスとは…
谷尻さんの愛用品とは…



Profile

建築家 / 起業家

谷尻誠

1974年広島県生まれ。穴吹デザイン専門学校卒業後、本兼建築設計事務所、HAL建築工房を経て2000年にSuppose design office 設立。これまで手掛けた作品は住宅だけでも100を優に超え、2010年ミラノサローネでの光のイスタレーション〈Luceste : TOSHIBA LED LIGHTING〉や〈まちの保育園 キディ湘南C/X〉など公共施設のインテリアデザインの仕事も話題に。「建築をベースに新しい考え方や、新しい建もの、新しい関係を発見していくこと」を自身の仕事としている。
穴吹デザイン専門学校特任教授、広島女学院大学客員教授、大阪芸術大学准教授。
社食堂、絶景不動産、21世紀工務店、未来創作所、Bird bath & KIOSK、tectureを経営。
 
https://suppose.jp/

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