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石野卓球 電気グルーヴ/DJ/プロデューサー/リミキサー

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石野卓球 (電気グルーヴ/DJ/プロデューサー/リミキサー)

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ー特集ー 《前編》初期の電気グルーヴは、近田さんがサンプリングした音を使ってます。


《前編》

ー特集ー

B.P.M.Syndicate 2021 / 10 / 16
近田さん古希・芸能50周年


初期の電気グルーヴは
近田さんがサンプリングした音を使ってます。

 電気グルーヴDJプロデューサーリミキサー
石野卓球 インタビュー


Interview By Yuta Ishikawa
Photography By Kazunobu Yamada
Direction By PROJECT ONE


Index

(前編
・初期の電気グルーヴは、近田さんがサンプリングした音を使ってます。
「じゃあ次、地獄聞き始めます」って。

・俺は近田さんほど優しくなれないかなって

(後編
・“渋谷系”ってのは、トイレの後に手を洗うかどうからしい
・15年続いた「STERNE」を始めた理由とは。
・「渋谷の老舗」といえば、
・50代に突入すると、犬と同じようなスピードで老いる。でも、待つしかない。

Profile石野卓球
1989年にピエール瀧らと”電気グルーヴ”を結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE  LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル”Love Parade”のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。1999年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ”WIRE”を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2012年7月には1999年より2011年までにWIRE COMPILATIONに提供した楽曲を集めたDisc1と未発表音源などをコンパイルしたDisc2との2枚組『WIRE TRAX 1999-2012』をリリース。2015年12月には、New Orderのニュー・アルバム『Music Complete』からのシングルカット曲『Tutti Frutti』のリミックスを日本人で唯一担当した。そして2016年8月、前作から6年振りとなるソロアルバム『LUNATIQUE』、12月にはリミックスアルバム『EUQITANUL』をリリース。2017年12月27日に1年4カ月ぶりの最新ソロアルバム『ACID TEKNO DISKO BEATz』をリリースし、2018年1月24日にはこれまでのソロワークを8枚組にまとめた『Takkyu Ishino Works 1983〜2017』リリース。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。 

初期の電気グルーヴは、近田さんがサンプリングした音を使ってます。

ー近田さんとは、どういったきっかけで出会いましたか?

近田さんとの出会いは、電気グルーヴが初めてインディー盤を出した頃……1989年のときかな。まだアマチュアだった俺に、近田さんは「レコーディング手伝ってくんない?」って声をかけてくれたんですよ。

―アマチュア時代の卓球さんに?

そう。当時は渋谷にDJバー「*インクスティック」があった時代で、そこはよく若手が出演していたんですよ。キャパはそこまでないけど、うちら(電気グルーヴ)もよく出ていたし、スチャダラパーとかTOKYO No.1 SOUL SETとか同世代のアーティストも出てました。その時かな、近田さんの名前をよく見た記憶があります。

―インクスティックで近田さんとお会いする機会があったんですか?

いや、なかったですよ。*ビブラストーンは出てなかったと思うし、近田さんはDJやってないですもんね。声をかけてくれたのは、何かのきっかけで音源を聴いてくれたんじゃないですかね。共通の知り合いもいたし。

*ビブラストーン……近田春夫が率いるヒップホップバンド。1987年結成。生演奏+ラップのスタイルは当時の音楽シーンに一石を投じたとされる。結成当初は“近田春夫&ビブラストーン”名義で活動。

*インクスティック……渋谷・公園通りにあったDJバー、クラブの「DJ Bar Inkstick」。クラブジャズ系DJの小林径がブッキングを手がけた。1989年オープン、95年に閉店

―話をそらしてしまいました。近田さんとの初仕事、その後どうなりましたか?

当時の近田さんは中川俊朗さんとミスターミュージック(CM音楽制作会社)のスタジオでよく仕事をなさっていて。その時は、中川さんが作曲した曲をフル尺にしてアルバムでリリースするって趣旨だったんですけど、1曲手伝ってくれって話で。

で、スタジオに到着するやいなや、近田さんは「ベーシックは出来上がっている曲なんだけど、声ネタのサンプリングを乗せてくれない?」とだけ言い残して、スタジオから出ていっちゃって(笑)。

俺は右も左も分からないまま、必死にいろいろ試してやったんですよ。小一時間してふらっと戻ってきたと思ったら、「もうちょっと曲のタイトルに沿ったような感じにならないかな」って言い残して、またスタジオ出ていかれて(笑)。

ーなかなか衝撃的な出会いですね(笑)。

でしょ。そんなこんなで完成したのが「Shinjuku Gigolo」(Continental Mix)なんですよ 。

でね、TR-909(Roland)ってドラムマシーンがあるんだけど、当時はハウスのリバイバルで中古市場でも中々手に入らなかった代物だったんです。

それでその時、近田さんから「*DATあげるよ」って言われて。何かと思ったら、近田さん直々にTR-909でいろんな音色を録音して、サンプリングしたキットが入ったDATだったんですよ。インディー盤でもTR-909を使いたかったんだけど、本体はもちろん持ってないし、サンプルもなくて。だから初期の電気グルーヴのTR-909のサウンドは、近田さんが細かくサンプリングした音を使ってます。

*DAT(ダット、ディー・エー・ティー、Digital Audio Tape)とは、音声をA/D変換してデジタルで記録、D/A変換して再生するテープレコーダーまたはそのテープ、また特にその標準化された規格のことである。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/DAT


ーものすごく貴重なお話!(笑)。ちなみに、近田さんと電気グルーヴには「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを担っていた共通点がありまして。『近田春夫のオールナイトニッポン』は1977年〜1977年で、卓球さんは小学生だったと思うのですが、リスナーでしたか?

オールナイトニッポンは小学校高学年くらいから聞いてたんだけど、近田さんのオールナイトは2部(現在の『オールナイトニッポン0』)で、俺の住んでた静岡では『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ』が放送されていたんです。1部が終わったら、自動的に「歌うヘッドライト」に切り替わっちゃってさ。田舎の性、というか。

でも、近田さんを初めて認識したのは、その頃かな。『ぎんざNOW!』ってバラエティ番組で、長谷川コッペさんがラジオブースみたいなセットの中でトークするコーナーがあったんですよ。そのコーナーに近田さんが出演されていて。お笑いバラエティみたいな番組だったので、最初は何をしている人なのか全く分からなかったんですけどね(笑)。

ー近田さんの存在を意識し始めた時期はいつ頃ですか?

中学時代くらいの時かなぁ。近田さんがプロデュースされていた「ヒカシュー」をヘビロテして聴いていました。もう少し前に、「ジューシィ・フルーツ」を聴き込んでいた時期があって。それは後から近田さんプロデュースだってことを知りましたね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒカシュー


https://ja.wikipedia.org/wiki/ジューシィ・フルーツ



「じゃあ次、地獄聞き始めます」って。

ー電気グルーヴの体制が変わってリリースされたリミックスアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』では「Bingo!」に近田春夫名義のクレジットが掲載されていますね。

そう。メンバーチェンジがあった直後の足踏み期間ってこともあって、『FLASH PAPA MENTHOL』は各曲違うアレンジャーやバンドと一緒に作っているんですよ。「Bingo!」は、近田さんにプロデュースを依頼して、ビブラが演奏してくれていて。

そのときすごく印象に残っているのが、“近田春夫の地獄聞き”ね。

ー“近田春夫の地獄聞き”。

ビブラのレコーディングって一発録りだったんです。各楽器一斉に演奏して、直したいところがある人は自己申告で直すのね。そのあと近田さんが立ち上がって「じゃあ次、地獄聞き始めます」って。メンバーも「地獄聞きの時間だ〜」なんて盛り上がるの。

各トラックをソロで聴いて、本人が気づいていないミスを差し替える。近田さんは、これを「地獄聞き」って呼んでいて。近田さんならではというか、普段のレコーディングと違った空気感だったからよく覚えてますね。

ーユーモアが溢れていて、楽しそうな現場ですね。

あとね、レコーディングではアコースティックな音を録っているんだけど、ミックスのやり方も勉強になって。ホーンのトラックで「パッパッパーパッパ」ってフレーズを録るんだけど、近田さんはアタマの「パッ」だけを使う。「あれ、さっきの地獄聞きはなんだったの!?」 って思うんだけどさ(笑)。でも、確かにそこだけアタックが効いててカッコいいんです。これも近田さんならではだと思いましたね。

俺は近田さんほど優しくなれないかなって

ー当時の近田さんってどんな感じだったんですか?

あのね、今と全く変わらないんですよ。初めて会って30年以上経ってますけど、好奇心のアンテナが常に立っていますよね。歳を重ねると、そういうのって錆びたりするじゃないですか。新しいことに興味を持てなくなる。でも、近田さんには全くそれがないでしょ。天性のものですよね。

ー卓球さんは、近田さんのような歳を重ね方を目指してたりしますか?

どうなろうという意識は別にないけど、多分、俺は近田さんほど優しくなれないかなって思うね。もっとひねくれてますから。

ジジイでも2パターンあって。近田さんみたいな皆から好かれるジジイ。あとは偏屈なジジイ。偏屈なジジイのなかにも、ただ偏屈で嫌われるジジイと偏屈だけど気になるジジイがいて。俺はそう生きたいよね。ほっとけないよ〜♪って感じ。

ー最後に、近田さんの芸能生活50周年のお祝いの一言をお願いします。

近田さんが歳を重ね、現役で活動してくれればくれるほど、後に続く俺達も勇気づけられます。今後とも間接的な感じで、勇気づけてください!



後編はこちら

・“渋谷系”ってのは、トイレの後に手を洗うかどうからしい
・15年続いた「STERNE」を始めた理由とは。
渋谷の老舗」といえば
・50代に突入すると、犬と同じようなスピードで老いる。でも、待つしかない。


近田さんのインタビューはこちら!




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