Crew Puddle CEO Masaki Kato
- 建築家
Masaki Kato
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Puddle代表 建築家
PROFILE:
一級建築士。工学院大学建築学科卒業。隈研吾建築都市設計事務所、IDEEなどを経て、 2012年にPuddle設立。現在、同事務所代表。 横浜市金沢区で幼少期を過ごし、歴史的建造物と新造された都市計画双方から影響を受ける。 各土地で育まれた素材を用い、人の手によってつくられた美しく変化していく空間設計を通じ、そこで過ごす人の居心地良さを探求し続ける。 主な作品に「IWAI OMOTESANDO」、「DANDELION CHOCOLATE」など。 2019年9月に学芸出版社より「カフェの空間学 世界のデザイン手法」を出版。
http://puddle.co.jp/
INTERVIEW
何故、トップクリエーターになれたのか?
Photography By Yuichiro Nomoto
Text By Ryo Ishii
Direction By PROJECT ONE
Tie-Up with yuhaku
Puddle代表 建築家 加藤匡毅氏
プロの仕事術 と 日々の愛用品
(前編
「変化を恐れない姿勢が、人生を豊かにする」
Puddle代表 建築家
加藤匡毅氏
日本を代表するクリエーターをゲストに招き、独自の仕事術を伺う本連載。
第三回は建築事務所「Puddle」の代表を勤める建築家の加藤匡毅氏。「IWAI OMODTESANDO」「DANDELION CHOCOLATE」など国内外のカフェを中心に手掛ける加藤氏だが、現在のキャリアに至るまでには挫折もあった。居心地の良い空間を生み出し続ける彼の仕事術、そして模索中だという次のステップとは。
Works
Photo: Nacasa&Partners | IWAI OMOTESANDO
Photo: Nacasa&Partners | IWAI OMOTESANDO
Photo: Takumi Ota | Dandelion Chocolate, Factory & Cafe Kuramae
Photo: Takumi Ota | Dandelion Chocolate, Factory & Cafe Kuramae
Photo: Takumi Ota | NEW STANDARD Office (TABI LABO)
Interview
回り道をしたから多様な考えに触れる機会に恵まれた。
2012年に建築事務所「パドル」を立ち上げて以来、国内外の様々なカフェを手掛け、居心地の良い空間を生み出し続けている加藤氏。日本を代表する建築家、隈研吾氏の事務所からキャリアをスタートさせた彼は、さぞ建築一筋で歩んできたのだろうと思いきや、「昔は建築に情熱を持てなかった」という。
「隈さんの事務所に誘ってくれたのは大学の先輩でした。僕が模型を作るのが得意だったのを覚えていてくれたみたいで、卒業してもフラフラしていた僕に『暇なら模型作りを手伝いに来ないか』と言ってくれたんです。当時、僕は家具やインテリアに興味があったので、先輩と同じように隈さんの下でバリバリ建築を学んだわけではなく、在籍していた3年間、ただ毎日を楽しく過ごすことばかり考えていましたね。キャリアという意味では回り道のようなんですけど、良い意味の回り道だったと思っています」
というのも、現在の「パドル」に繋がる大きなきっかけであるインテリアブランド「イデー」と出会ったのは、隈氏の下で働いていた時のことだったからだ。
隈さんが手掛ける建築に特注の家具が必要ということで、イデーとの打ち合わせに同席させてもらったことがありました。そこで、この人たちはスーツも着ないで自由そうだし、お願いしていたものとはまったく違う家具を作ってくるし、一体何者なんだろうって興味が湧いたんです。他にも取引先はありましたが、イデーだけが違う雰囲気で。それで今はない南青山の本店に通うようになったんですけど、そこですごく衝撃を受けたんです」
2006年に移転のため閉店した当時のイデーショップ南青山本店は、緑溢れる外観に3つの異なる入り口があり、それぞれが独特な存在感を持つ印象的なショップとして知られていた。その建物を前に「この生き物の一部になりたいと思った」と加藤氏は振り返る。
「イデーはいろんな分野の専門家の集まりで、ずっと家具のデザインだけをしている人とか、花のことを考えている人とかがいる。そうした人たちが一つの空間を作り上げているから、いろんなクリエイティブが混ざり合っているんですよね。それがまるで生き物のように感じられたのが、初めての感覚でした」
後に隈氏に頼み込み、イデーに転職。5年間空間デザイナーとして勤める中で、様々な学びがあった。
「イデーは専門家の集合体だと言いましたが、そのいろんな分野の知識や考え方に触れられたことは良い経験でした。掛け算のアイデアの引き出しが増えたように思いますね。あとはアジアの国を巡って建築材料の仕入れを交渉したこともありました。そうやって『空間にまつわるもの全てをデザイン』するという僕が大切にしている思いが育まれていったような気がしています」
回り道をしたから多様な考えに触れる機会に恵まれた。
「会社員は性に合わないから30歳で独立する」。そう決めていたという通り、イデーで出会ったデザイナーと共に独立。加藤氏はこれを“一度目の”独立と呼んだ。二度目の独立である「パドル」を立ち上げるまでの8年間は「空白の8年間」だったというのだ。
「あの頃はまだ若かったですね(笑)。お客さんも同様に個人の若い人が多かったので一緒にDIYをしたりして、とにかく身内で楽しくやるっていうことに特化してしまったんです。あと、やったこともないまったく別領域の仕事を『多分できます!』ってやっていたこともありました。なぜかカメラマンとして写真を撮ったり、グラフィックやWebサイトを作ったり……。自分で経営している意識もあまりなく、とにかく無計画でしたね
そのままでも楽しく暮らしていくこともできたという。ただ、「これでいいのだろうか?」と自問自答することもあった。そんな加藤氏の意識が大きく変わったのは2011年。東日本大震災がきっかけだ。
「建物が崩壊してしまうのを目の当たりにしたとき、僕らが作ってきたものは、こうもあっさりと壊れてしまうものなんだと実感させられたんです。自分は何か世の中に残すことができているのか。そう考えたら、このままじゃダメだと思ったんです。体験や出会い、絆みたいな建物が壊れてもなくならないものを、空間を通して作っていくことができれば、誰かの幸せに貢献できるんじゃないかと」
その気付きは、現在の仕事にも大きく影響している。
「例えば空間を作るのは、音も要素のひとつです。今進めている都内の某ホテルのプロジェクトでは、部屋に東京の街の音から作った音楽を流すという試みをしています。さらに、部屋に合わせてデザインした真空管アンプも製作中で、様々な角度からその部屋に泊まった人にしか出来ない体験を提供できたらと思っているんです」
パドルではこれまで、「% アラビカ京都」や「ダンデライオン・チョコレート」をはじめ、多くのプロジェクトを手掛けてきた。クライアントの属性が個人から企業へと移り変わっていく中で、どんなことを意識したのだろうか。
「昔は依頼があったら1ヶ月半待ってもらって、コンセプトや模型、設計図も完璧に仕上げて『これ買ってください!』みたいに仕事をしていた時期もありました。でもパドルを立ち上げてからは、もっとスピーディでクライアントに寄り添ったコミュニケーションの仕方に変わりました。建築や空間は、引き渡した後に使う人が育んでいくもの。無用な夢を見せつけるのではなく、“一緒に考えて行きましょう”という精神が大切だと思っています」
コンペではなく、口コミで仕事を依頼されることが多いという加藤氏。夢を一緒に共有するようなワクワクするコミュニケーションが満足感を生み、次ぎに繋がっているのだろう。本人は「大したことをやっているワケではない」と笑うが、その積み重ねが今のパドルを作っていることは間違いない。
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