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ー特集ー 16歳、初めて出会う“言葉と音”にやられた衝撃《前編》


《前編》

ー特集ー

B.P.M.Syndicate 2021 / 10 / 16
祝 近田さん古希・芸能50周年


16歳、初めて出会う“言葉と音”にやられた衝撃

ヒップホップアーティスト / MC
YOUTHEROCK★ インタビュー


Interview By Hiroshi Egaitsu
Photography By Yamada Kazunobu
Direction By PROJECT ONE


Index

(前編
・16歳、初めて出会う“言葉と音”にやられた衝撃
受け継がれ、新たなカルチャーを紡いでいく先人の功績


(後編
・“健康不良少年”として過ごした渋谷。
ヒップホップが照らす未来

10月16日、東京は新木場にある大型ヴェニューageHaで、近田春夫の古稀と音楽生活50周年を記念したパーティ『 B.P.M. Syndicate』が藤原ヒロシ、高木完小泉今日子、イリア、TSUYOSHI SUZUKI、YOUTHEROCK★、ゆるふわギャング、HENTAI CAMERA、ブライアン・バートン・ルイス(出演順)などヴァラエティに富む、しかし確固たる共通点を持ったゲストを迎えて成功裡に終わった。年齢も、ジェンダーも、音楽ジャンルも、キャリアも、才能の方向も、多分、何もかも異なる彼らに一つ共通するのは、意味なく過去を振り返ることをしないで、未来へ向かう、新しいヴィジョンを映し出す活動を続けていることだといえる。

 そして、今回、日本のヒップホップをテレビを通じてお茶の間までに届けた立役者であるYOUTHEROCK★に私たちが話を聞いて感じるのは、近田春夫という日本のロック/ポップ史上を通じて傑出するアーティストと、YOUTHEROCK★自身も含めて、渋谷という世界に他に類のない都市空間の共通点は、そこにあるという確信である。そこ――つまり、渋谷も、近田春夫も、YOUTHEROCK★も、今、私たちの目の前に出現した未来であるということ。未来を現すアーティストで、未来を映すアートであるということ。



16歳、初めて出会う“言葉と音”にやられた衝撃

まずは近田春夫さん、そして近田さんに出会うきっかけとなったヒップホップとの出会いについて教えてもらえますか?

「俺のバックボーンみたいな話で、ヒップホップはファッションなんだ。どっぷり音楽というよりは、最初からファッションからヒップホップに自分は入っていって、今もその気持ちは変わらない。ファッションの情報が欲しくて、10代だった自分は、当時ネットがないなか、宝島、ポパイ、メンズノンノ、ホットドッグプレス・・・そういった雑誌をディグってて、そこでタイニーパンクス(藤原ヒロシと高木完のユニット)を知ったんだ。

 中学生2年生くらいの時で、(アイドルグループの)おニャン子クラブが好きで。ファッション・ブランドでいえば(A BATHING)APEと同じぐらいセイラーズというブランドが好きで、お笑いだったらとんねるずが好きだった。それで、とんねるずのオールナイトニッポンを聴くようになって、自分は長野で聞いているから、ラジオのキー局と地方局が切り替えるときに曲がかかっていて、多分長野の地方局のラジオのスタッフが選んだ“ホリデーラップ”がかかったり、近田さんの“HOO! EI! HO!”がかかるんだよね。1986年。

 ラップ、ヒップホップ、ランDMCもまだはっきりわからない、まだそんな頃。なんだろう(今聞いた曲は)パンクなのかな?シャウトしてたし、佐野元春と尾崎豊の延長なのかな?でも違うような、そんな感じ。雑誌でタイニーパンクスのファッションは知ってて、タイニーパンクス経由で、近田さんの生々しい韻を踏まない、言葉と音のぶつかり合いに惹かれたんだ」

当時ラップをする際の近田さんはPRESIDENT  BPMという名義でしたね。

「PRESIDENT BPMはライヴは見てないんだけど、ビブラストーンとしてのライヴはよく見てた。渋谷クワトロや芝浦インクスティックで色々とライヴを見て、一緒に観た(LAのバンド)フィッシュボーンもかっこいいと思ったけど、やっぱライヴアクトとして近田さんのラップがいいと思ったんだ。それからはいつも一番前で観てた。その頃スパンク4(現ファッション・ブランドC.E.のデザイナーであるSkate Thing、DJの須永辰緒などがいたラップグループ)も観たりしたな。中西俊夫さんことTycoon Toshとかもいいし、DJ KRUSHさんとかもいいんだけど、近田さんはとにかくライブがしっかりしていた。エンターテイメントとして凄すぎちゃうのが、ビブラストーンというとサービス精神みたいだけど、そうではなくて音にやられちゃう。そのときは16歳だった」

受け継がれ、新たなカルチャーを紡いでいく先人の功績

近田さんのレコーディング作品として好きなのはPRESIDENT BPM名義でリリースされた「HEAVY」ですか?

「(近田さんの過去のバンド)ハルヲフォンとか掘っていっても少し分かりにくいところもあったんだけど、アルバム『HEAVY』に入ってる音楽プロデューサーとしての話をラップにした”HEAVY”っていう曲の“遊びすぎちゃって、ずっと遊んできちゃって”というラインは、40歳手前になってから分かる、経験しないと分かんない凄みのある曲。

 近田さんは、インテリジェンスがある人。博学な人。近田さんが慶應大学に行ってたという学歴なんて最近知ったけど、そんなこともどうでもよくて、近田さんは言葉にする、具現化する、人が言わないことをはっきり言っちゃう、ラップにしてしまう、そのためのユーモアとユニークさと力強さがある。それはそのままヒップホップの本質とも繋がってると思う。ワルい感じなんだけど、正しいことを言っている。

 それに対して今のラップは、かっこいいラップをしようとしているようで、全然伝わらないし、心に響かないの。今のラップはほぼみんなそうなんだ。当たり障りがあるかどうかはともかく、ラップが生々しくない」

近田さんがラップで、それまでになかったことを現実にする、みたいなことですか?

「昔、自販機の前でタバコ吸ってたまっていると『早く帰れよ』って声かけてくるようなおじさんっていたじゃん。近田さんはその感じがする。近田さんはリアルなんだ。そこがいい。近田さんみたいな人が政治家とかリーダーになったらいいなって思う。”HOO! EI! HO!”もスタイリッシュかそうじゃないかじゃなくて、あの力強さっていうか、聞き手の気持ちを包む。ラップって多分そこなんだよね。そこで聞き手の気持ちを持っていく。俺はやられたよ」

“HOO! EI!HO!”はその後1998年にYOUさんがカヴァーして話題になりますね。それは例えば後進の人気ラッパーとなる田我流さんが「ラップにのめり込んだきっかけ」と語るなど、近田さんからYOUさんへ、YOUさんからさらに若手へと影響が連鎖していきます。

そんな“HOO! EI! HO!98”のレコーディングの際は、直接近田さんに指導を受けたらしいですね?

「レコーディングに関しては千本ノック。『YOUのラップはパーカッシヴじゃない、跳ねてない、言葉が打楽器みたいじゃないから楽しくない』って言われて。『バウンスして、スイングしてないとだめだ』と言われた。『ホーンみたいに音が伸びたり、いきなり早くなったり、ラップっていうのは楽器で、そうじゃないと金払う意味なんかない』って言われたんだよね。『音楽なんだよ、YOU。手拍子も楽器だけど、人間という生で演奏できる楽器がこの口からの音なんだ』って言われて、目の前で近田さんがラップをする。こっちは『それはあなたのオリジナルなんです。俺は俺のなんです』って思うんだけど、そこを近田さんは追求してくるわけ。『単にリズミカルとは違うんだ』って。正直、レコーディングは涙目だったよ。CDについてるブックレットの写真見てもわかるでしょ、泣いてるもん。近田さん若いからバッチバチだもん。容赦なかった」



後編はこちら
“健康不良少年”として過ごした渋谷。
ヒップホップが照らす未来




近田さんのインタビューはこちら!


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